Zo通信

2023-10-14 00:00:00

 広瀬川造形館の開設にあたり、「理想とする空間」のイメージとして下記の文章をHPに掲載してきました。この度HPの改訂にあたり、No.16に移行いたしました。

 

 

 イタリアのラヴェンナにあるサン・ヴィターレという小さな聖堂を訪れた。

1984年の夏の暑い日で、人影も無く、古びた建物は、どこが入り口かも判らないほどの簡素な造りであった。

中に入ると天井が高く抜けていて、外観からはとても想像もできない開放感に満ち溢れていた。

内陣に施されたモザイクは、創建6世紀のものと言われ、見るからに劣化が進んでいたが、高窓から入る柔らかな光で輝き、まるで小さな宝石箱の中に入るような錯覚を覚えた。

数年後、大規模な修復が行われ、世界文化遺産となったが、この時の素晴らしい印象は忘れられない。

「時」と「人」と「場」、そんな空間を育てていきたい。

 

 

池田政治

2023-06-18 00:00:00

 1つの材の上に別な材をのせることは、生活の中ではごく自然に行われています。紙や布などの薄い素材は、重ね合わせることによって厚みも増し、保温性など単独では得られない良さが生まれます。色も何色かを重ねて使うことによって、色味の幅や深みをだすことができます。また、「重ねること」によって物をコンパクトに収納することもできます。石のようにボリュウムがある材については、大きな塊になればなるほど重量も重くなり移動も運搬も大変になります。人の手で扱える程度の大きさに加工し、「積む」ことにより1つでは得られないかたちの可能性が広がってきます。レンガも石材と同様に巨大な建造物の建設に役立ってきました。木の文化である日本でも、庭園の景色に欠かせない石灯籠も、それぞれが別々に加工された部材が積まれることによって多様性が生まれきました。木材では、重ねることに「組む」ことが加わり、寺院や五重塔のように大型で強靭な構築物も建造されてきました。このように「重ねる」という行為は、身近なものから巨大なものまで、かたちあるものの源の1つであるといえます。 

(S.I)

2023-05-05 00:00:00

 今回のGEUST展では酒百浩一さんの作品を紹介しました。酒百さんはフロタージュという技法を使った作品を手がけています。凹凸あるものに紙を置き、鉛筆などで擦って形状を写しとる技法です。19世紀初頭から始まった絵画運動の中では様々な技法が試みられました。フロッタージュもその1つです。対象物から紙に写しとる方法は、東洋では「拓本」として知られていますが、写しとる対象は著名な書などを刻んだ銘板からでした。フロッタージュを用いた作家が対象としたものは、日常のどこにでも見られるモノでした。酒百さんは、植物の葉から葉脈を写しとり、廃屋になった建物の部屋の壁を埋め尽くした「みどりの部屋」(越後妻有)やすでに閉鎖された町工場で使い古された道具などから収集した「大田のかけら」(東京・大田区)など、地域の人々の営みや生活の息づかいというものまでを写しとって制作につなげてきました。時には路上にうずくまり、時には壁に背伸びして制作する姿は、日常の中の非日常的な行為であり、長年にわたる活動は芸術活動の原点として印象的です。 

(S.I)

2023-02-26 00:00:00

 ある土地の人から「あれが牛伏山」と聞いた時、その指差す方向を目で追っているうちに、ゆったりと横たわっている1頭の牛の姿をとらえることができました。その手前に広がる田畑と集落の家々の姿と相まって、実にのどかな風景に改めて感じ入りました。元々はそうでないものに別なイメージを重ねることは、「見立て」と呼ばれ、ものと人を結びつける大切な役割があります。そのことによって、人とものの距離が急に近くなり、親しいものになることがあります。日本庭園では、山を築き、池を造り、石や石組みを配置する際に、日常よく知られている山や湖の名や生き物の名称をつけることがあります。リアルに再現しすぎると「なぞる」いうことになり嫌味にもなりますが、なるほどであれば「改めて感じみる」ということにつながります。陶芸においても焼成の過程で出来たムラや傷痕などに具体的なイメージを見出し、鑑賞することもあります。見立てるという背景には、見る人、使う人、そこに居る人がゆったりとした時間の中で、ものに触れ、愛で、一体になっている関係性があります。

 

(S.I)

2022-12-25 00:00:00

 1本の線の両端を結ぶと「輪」のかたちが生まれます。輪は連続を繰り返し「無限」という概念をかたちとして見せてくれます。人がいつどのように輪のかたちを発見したか定かではありませんが、太陽や月の光輪や、木の年輪、水紋など、生活の中で身近に見ることができます。同じ場所から同じ場所に戻ることから、古くから「循環」としてもとらえられてきました。季節の巡りや天体の動きから、自然や宇宙の無限いう言葉まで思いを巡らせてくれます。中心に向かって等距離で輪となり人が集うことは、等しさと繋がりを生み、日本では「和」の言葉とも通じて、和みと癒しの場を提供してくれます。時に新しく、時に古典的な意味をもって、造形作品の中でも象徴的に扱われてきました。輪のもつ循環性は、その繰り返しから閉じたかたちとしての閉塞感もあわせ持ちますが、その無限性は決して同じことを繰り返すことではなく、樹木の年輪に見られる様に、外に向かって新しい輪を広げていくことで「成長」の意味をもっています。

 

(S.I)

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