Zo通信

2023-05-05 00:00:00

 今回のGEUST展では酒百浩一さんの作品を紹介しました。酒百さんはフロタージュという技法を使った作品を手がけています。凹凸あるものに紙を置き、鉛筆などで擦って形状を写しとる技法です。19世紀初頭から始まった絵画運動の中では様々な技法が試みられました。フロッタージュもその1つです。対象物から紙に写しとる方法は、東洋では「拓本」として知られていますが、写しとる対象は著名な書などを刻んだ銘板からでした。フロッタージュを用いた作家が対象としたものは、日常のどこにでも見られるモノでした。酒百さんは、植物の葉から葉脈を写しとり、廃屋になった建物の部屋の壁を埋め尽くした「みどりの部屋」(越後妻有)やすでに閉鎖された町工場で使い古された道具などから収集した「大田のかけら」(東京・大田区)など、地域の人々の営みや生活の息づかいというものまでを写しとって制作につなげてきました。時には路上にうずくまり、時には壁に背伸びして制作する姿は、日常の中の非日常的な行為であり、長年にわたる活動は芸術活動の原点として印象的です。 

(S.I)

2023-02-26 00:00:00

 ある土地の人から「あれが牛伏山」と聞いた時、その指差す方向を目で追っているうちに、ゆったりと横たわっている1頭の牛の姿をとらえることができました。その手前に広がる田畑と集落の家々の姿と相まって、実にのどかな風景に改めて感じ入りました。元々はそうでないものに別なイメージを重ねることは、「見立て」と呼ばれ、ものと人を結びつける大切な役割があります。そのことによって、人とものの距離が急に近くなり、親しいものになることがあります。日本庭園では、山を築き、池を造り、石や石組みを配置する際に、日常よく知られている山や湖の名や生き物の名称をつけることがあります。リアルに再現しすぎると「なぞる」いうことになり嫌味にもなりますが、なるほどであれば「改めて感じみる」ということにつながります。陶芸においても焼成の過程で出来たムラや傷痕などに具体的なイメージを見出し、鑑賞することもあります。見立てるという背景には、見る人、使う人、そこに居る人がゆったりとした時間の中で、ものに触れ、愛で、一体になっている関係性があります。

 

(S.I)

2022-12-25 00:00:00

 1本の線の両端を結ぶと「輪」のかたちが生まれます。輪は連続を繰り返し「無限」という概念をかたちとして見せてくれます。人がいつどのように輪のかたちを発見したか定かではありませんが、太陽や月の光輪や、木の年輪、水紋など、生活の中で身近に見ることができます。同じ場所から同じ場所に戻ることから、古くから「循環」としてもとらえられてきました。季節の巡りや天体の動きから、自然や宇宙の無限いう言葉まで思いを巡らせてくれます。中心に向かって等距離で輪となり人が集うことは、等しさと繋がりを生み、日本では「和」の言葉とも通じて、和みと癒しの場を提供してくれます。時に新しく、時に古典的な意味をもって、造形作品の中でも象徴的に扱われてきました。輪のもつ循環性は、その繰り返しから閉じたかたちとしての閉塞感もあわせ持ちますが、その無限性は決して同じことを繰り返すことではなく、樹木の年輪に見られる様に、外に向かって新しい輪を広げていくことで「成長」の意味をもっています。

 

(S.I)

2022-04-23 00:00:00

 新型コロナ以前から企画していた橋本和幸さんの「智の造形」展を『GUEST展』として開催しています。GUEST展では、本館2Fの多目的ギャラリーに池田政治、池田カオルの小作品を展示しつつ、ゲストとしてお呼びした作家の方の作品を同空間に展示していただくという企画展です。空間全体は、材を極めるという「質」で統一し、橋本さんの「智」という作品群とどちらかと言えば我々の「情」の作品群との可能な限りの融合を目指しました。私が橋本さんを紹介する文章の中で用いた「虚と実」という言葉が今回の展示によって鮮明にされ、身近に印象付けられた気がしています。作家があるイメージを「実」として造形化するとき、他の部分を無意識に削ぎ落としていくことになります。橋本さんの作品は、この削ぎ落としている部分を最初から意識し、視覚化していく姿勢で一貫しています。橋本和幸の虚と実、池田カオルのさりげない日常の中の女性像、池田政治の解き放たれた時間、三者がひとつに融合した空間として観ていただければ幸いです。日常では見えにくいものを視覚化する役割が造形にはあります。

 

(S.I)

2021-12-26 00:00:00

  光について考えてみましょう。光と闇。光のあるところには、必ず光のもとがあります。夜の闇では星や月の光が、昼には太陽の光があります。光があたるところには陰があり、明るさと暗さの調子によって「物のかたち」が立体視されます。この陰影の幅が大きいほど、形がデリケートに印象づけられます。夜間には太陽光に代わるものとして、人工光としての「照明」が工夫されてきました。太陽光もそれぞれの季節や天候の違い、時間によって常に変化していますが、人の視覚は、この明るさの変化の中で物を見ることに慣れています。建築においては、古くから太陽の光を使って様々な透過光や反射光として上手に「濾過させて使う」という工夫がなされてきました。造形においても物が置かれる適切な「光環境」がとても重要になります。物の見え方は、光の状況によって大きく変化してきます。配慮された光のもとで質感や色の深み、肌合いなどを充分に鑑賞することができます。人工照明も明るさの道具としてだけではなく、人の目にも物の鑑賞にも柔らかく優しい環境づくりのためのものであるということを改めて感じています。

 

(S.I)

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